毎年恒例となった、北極流初詣参拝ツアー。
今年は全国6か所で開催し、400名近い方に参加していただきました。
今回は、そのうちの一つ、1月6日に行われた石清水八幡宮での初詣参拝ツアーがどのようなものだったかをご紹介します。
年始めは運気を切り替える大チャンス!
古来より、日本人は、年始めに初詣をしてきました。
新年が一年の中で最も神気(=神様のエネルギー)が降り注いでいる時期だということを知っていたからです。
私たちも、毎年、北極流初詣ツアーというものを行っています。
初詣に正式な定義はありませんが、1月中の参拝は、運気の変わり目の大チャンスです。
当ツアーでは、神社の神様の隠された歴史や、本当の働きをお伝えしたうえで、団体参拝を行います。
多くの人が燃えるような思いを神様に向けることで、その思いが天空に届きます。
すると、何も知らないまま、ただ参拝する場合に比べると、莫大な御神徳が降り注ぎ、それまでのレールを外れた、まったく新しい人生がスタートするのです。
意識を神様のリズムに合わせる
神社というのは、人間世界と神様の世界をつなぐ〝通い路〟のような場所です。
そこには神様から膨大な情報が降りています。
その情報は、ラジオの電波のようなもので、こちらがどんな周波数(意識のチャンネル)に合わせているかによって、受信できる情報の精度、濃密さは変わってくるのです。
ラジオにも様々な局があるように、神社にも固有の周波数と合わせ方があります。
その周波数を合わせていただくために、必ず参拝の前にセミナーを行っています。
内容を理解し、その神社に対する知識が深まると、そこに祀られている神様と意識があい、信じられないような偶然が起きるようになるのです。
石清水八幡宮に祀られている神様の功徳
何事もつなぎ目が大切です。
お正月は前の年と、次の一年のつなぎ目。
さらに今年は、平成が終わり、5月1日から新しい元号に切り替わる今までにない意味をもつ、とても大きなつなぎ目です。
そんな大切なつなぎ目のときに、これから自分はどのような思いで生きていくか、決意表明をするのはとても大事。
そういう意味で、今回の石清水八幡宮参拝セミナーは、これまでにない特別な意味がありました。
私たちグレイトティーチャー㈱の産土神社でもある石清水八幡宮の功徳は、一般的には、〝旗揚げ〟と言われています。
会社を立ち上げたり、この一年はこれを達成するぞ!という目標を立てるには最適の神社です。
また、「心に炎を灯す」という功徳もあります。
「炎」は人によって違いますが、例えば、子育てでいうと愛情です。
子育てが嫌になったり、イライラしてしまうのは、自分の中の炎が消えかけている状態といえるでしょう。
その失ってしまった心のあたたかさ(=炎)は、石清水八幡宮の空間から受け取ることができるのです。
〝あたたかみ〟が最も必要とされる時代
私たちの活動は、ミスターステップアップという大学受験塾で、師・北極老人が、私たち塾生の心にあたたかみを与えてくれたこと、志に火を灯してくださったことがきっかけとなり始まりました。
その炎は、家庭のあたたかみが失われている今の時代、私たち人類が一番取り戻さないといけないものです。
そして、勇気を出して一歩踏み出し、心に炎を取り戻した人の元には、同じ目的や志を持った仲間が集まってきます。
セミナーでは、この紙面上では書き尽くせないほど深遠な神様の秘密をたくさんお話しています。
実際、知識が深まり、意識が高まった状態で参拝された方々からは、参拝後「最初は少し迷っていましたが、参加して本当に良かったです!すでに人生が変わり始めているのを感じました」といったお声を多くいただいております。
初詣セミナーは年に一度ですが、神社参拝の半年間講座も近々スタートしますので、興味のある方はぜひとも参加してみてください。
石清水の神様から応援される4つのステップ
1.傍を上げていく
一般的な功徳は、志に炎を灯し目標を打ち立てる〝旗揚げ〟です。
旗揚げは、言霊で紐解くと〝傍上げ〟となります。
傍を上げるとは、落ち込んでいたり、悲しんでいる人を励ましたり、勇気づける。
自分自身の評価を上げようとするのではなく、傍にいる身近な人の価値を上げていくような言動を心掛けるなど。
例えば、子育ての場合なら、子ども扱いしないこと。
「できないでしょ」と決めつけるのではなく、買い被って信じてあげることです。
2.他人から上げてもらえる日がくる
先ほどの例の続きでいうと、子供が立派に育てば、やがてあんな立派な子供ならあなた(親)も凄い、と世間の評価は上がっていきます。
3.引き続き、傍を上げ続ける
褒められても、それを自分の満足に変えずに傍を上げ続けていくと、今度は、巡り巡ってあなたに幸運な出来事が起こり始めます。
4.出会いがある
自分の熱い炎に共鳴するかのように、同じ目的や志をもった仲間が集まり始めます。
与えたものは、返ってくるようにできているのです。