神社といえば、朱塗りの鳥居や立派なお社をイメージする人が多いと思います。
でも実は、そのような神社のイメージが作られたのは、ここ千数百年くらいのことなのです。
今日はそんな私たちになじみのある神道と古神道の違いについてお話しします。
古神道の起源と考え方
もともと、日本人の信仰は「古神道」と呼ばれる一種の霊性信仰(アニミズム)で、その本質は「自然は神なり」という考え方にあります。
昔の日本人のほとんどは、農家でした。
豊かな土壌、豊かな緑、きれいな水…。
そんな自然がもたらしてくれる恩恵がある反面、地震、津波、暴風雨などが人に対して牙をむくこともあります。そのため、人々は自然を神に見立てて祈る必要がありました。自然とともに生きていたから、神様に向けられる想いと等しいものを自然に対しても持っていたんですね。
山も海も。花も草木も。太陽も月も。雨風や雷も。地震も津波も。
すべてを神として見ていました。
そして、この自然の働きに名前をつけたのが御神名です。
神社の始まりは、もともとの日本人が持っていた信仰心「自然崇拝」にあるのです。
神様との通い路になる場所
たとえば、古神道のなかの一つの信仰で、岩座(いわくら)・神籬(ひもろぎ)と言う、岩や山を神の依り代として祀るものがあります。
これが、神社のはじまりと言われています。
岩座は、神がその岩にお座りになったという伝説から、岩座と呼ばれるようになりました。
なぜ、その岩が選ばれたのかと言うと、理由は二つあります。
一つめは、その岩のあった場所が、風水で言うところの龍の通り道にあって、地球の気(=地の気)に満ちていたから。
二つめは、その岩が目覚めるべきタイミング(=天の気)に、然るべき(ふさわしい)人間がそこにいたから(=人の気)です。
龍(エネルギー)の通り道のことを風水では「龍脈」と言います。
そして、その中で最も気が集まっているところが「龍穴」と呼ばれるものです。
日本の各地には、古来より自然のエネルギーが凝結している聖地(龍穴)がありました。そここそが、神様との通い路になる場所だったのです。
北極流では、気の流れを龍に見立てます。
「気」とは役割をもつチカラです。
そう見立てて修習していきますと、本当に、気の流れが龍になって見えてきます。実際、自然のエネルギーが流れている湖の上空では、雲が龍のような形になったり。山の尾根や樹木が昇り龍のように躍動感溢れて見えたりするのです。
あらゆる宗教を取り入れてできたのが今の「神道」
現代のような形式化された鳥居や社などが建てられ始めたのは、飛鳥時代にユダヤ教や仏教、道教などの考え方が入ってきてからのことです。
その中でも一番大きな影響を受けたのがユダヤ教なので、神道のルーツはユダヤ教であると仰る方もおられます。しかし私たちは、もともとあった古神道の考えに、ユダヤ教などの要素を受け入れ、取り込んだと考えています。
神道とユダヤ教には共通点がたくさんあります。
たとえば、ユダヤ教の聖櫃(せいひつ)は、御神輿(おみこし)と非常に形が似ています。
鳥居もユダヤ教の門(神殿)の作り方と非常に似ています。
また、伊勢神宮の鳥居のとこにある六芒星のマーク。六芒星はイスラエル、ユダヤ教のマークです。
賽銭箱、御手水、狛犬。
二例二拍手や祝詞もユダヤ教が入ってきてからできたものです。
八百万神が集う国
日本人は、古来から大自然を神と崇め、四季の移ろいや花木を愛でてきました。そして、海外の文化や宗教でさえ神として迎え入れてきたのです。
日本に暮らしていると、四季が巡るのは当たり前のように感じますが、日本のようにはっきりした四季を持っている国は少ないのです。
太陽の光と雨の恵みを受け、山の木々が育ち、野には作物が育ちます。
同じ雨や風でも、四季があることで降り方や吹き方が違ってきますよね。
昔の人はやっかいな風雪雨をも楽しみ、季節ごとに味わい深い名前をつけています。厳しい寒さから解放される高揚感や、賑やかな夏祭りの時期を終えた寂寥感などにも美しさを見出してきました。その中でうまれた年中行事には、神と先祖を敬う豊かな日本人の精神が投影されています。
このように、日本は素晴らしい環境の中で歴史を刻んできたのです。
今、目の前にある当たり前のことに目を向けて感謝してみましょう。
そこに目を向けるだけで、あなたの中にある豊かな感性が日常にあふれる神様とつながり、幸せを感じることができるでしょう。