古来より日本人は、自力の範疇には収まらない大きな望みを叶えるために、神社参拝をしてきました。
どうしても叶えたい願い事がある時。がんばっているのに、うまくいかない時。
最後の最後は神頼み!と神社参拝に向かわれたことのある方も多いはず。
ですが、その参拝はちゃんと神様に願いが届く方法になっていたでしょうか?
今回の特集では、神社参拝でなぜ人生が劇的に変わるのか? その秘密を紐解きながら、神様に願いを届ける方法についてお伝えします。
人生を変えることはできる? ~ 誕生日と運命の関係
ゆにわ塾では、神道家であり占術家でもある私(羽賀ヒカル)が講師を務め、神社参拝の講座を行っています。
なぜ、占い師が講師なのか、そこに開運の秘密があります。
私がお客様からいただく最も多い質問の1つが、これです。
「人の運命は決まっているのですか?」
結論から申しましょう。現時点での未来は決まっています。
実際、占い師の目線で生年月日や名前、手相を見るだけで、この人は何歳でどうなるかがわかります。
「◯歳で結婚する」、「〇年後に離婚する」といったことまで。その方の未来の運命が手に取るようにわかるのです。
けれど、不思議に思われませんか?なぜ、生年月日や手相で未来が読めるのか。
実は、そこには共通する「宇宙の法則」が隠れているのです。それが「相似象」、英語では「フラクタル」と言います。
人の運命は、「生年月日」や「名前」と「相似象(フラクタル)な関係性」になっています。だから、生年月日から運命を読み取れるのです。
ここから、「相似象(フラクタル)」について、くわしくご説明しましょう。
相似象(フラクタル)とは何か
フラクタルとは、「相似関係にある図形」のこと。規模の尺度がちがっても同じ形が現れる構造です。
部分と全体のカタチが似ており、全体をいくつかの部分に分解したとき、その各部分は全体の縮小図になります。
この宇宙を構成するありとあらゆる物事には、この「フラクタル構造」を見ることができるのです。
たとえば、私たちが暮らす地球を含めた太陽系です。中心に太陽があって、その周りを地球がぐるぐる回っている、と学校で習いましたよね。
その太陽系自体も、アルシオーネと言う天体の周りを回っているのです。
この構造は、惑星レベルではアルシオーネですが、ミクロレベルでは原子モデルが相似形です。
原子核を中心に、電子がぐるぐる回っている形がそっくりですよね。
また、植物にもフラクタル構造がよく見られますが、有名なところでは、ロマネスコという野菜があります。
つぼみのカタチが、全体のカタチにそっくりです。
また、樹木を見ても、一枚の葉っぱのカタチが、樹木全体のカタチを表していることはよくあります。一枚の葉っぱが、樹木の全体性を示しているわけです。
さらに、地球と人体の関係も相似象です。
地球にとって海の割合は78%、人体にとって水分は78%です。
地球上の樹木や草木は、人間では体毛にあたります。
形だけでなく役割も相似になっていて、樹木が地球の毒素を吸いとるように、体毛も身体の毒素を吸いとる役割があるのです。
また、地球にとっての風は、人間にとっての呼吸。
海の流れ、マグマの流れは、人間の血の流れです。
「熱い血潮」なんて言葉がありますが、血の中にはマグマのように熱いモノが流れているのですね。
海に流れこむ河川の水は、鼻水、汗、涙などの体液と同じ。
身体の毒素を流して、酵素や微生物の働きによって浄化する働きがあります。
このように地球と人体は、さまざまな面で相似関係にあるのです。
「人生は、相似象(フラクタル)」の意味
古来より、時代の権力者たちは相似象の法則に気づいていました。
そして、世の中の相似関係を紐解くことによって、普通では知りえないようなことを予見し、活用することで自らの権威権力の支えにしてきた裏の歴史があるのです。
そのように一部の権力者や血統のみに伝わる秘伝を「帝王学」と呼びます。
今では算命学や四柱推命、カバラやタロットなど、一般的に出回っている「占い」も、そのルーツを辿れば、帝王学に行きつきます。
例えば「手相」もその一つ。
人生をフラクタル構造に当てはめたときに、手相とそっくりになっているのです。
手の平に刻まれている指紋、手相、手の線は全て、脳の意識の表れ、つまり意識の相似象です。
手相は、樹木にとって葉っぱのようなもの。
手相占い師は、手相の情報からその人の人生を読み取ることで、いつ病気になるか、いつ結婚するか、と言った未来がわかるのです。
もう一つは誕生日です。
占い師が、人の生年月日だけでなぜ人生を当てるのかと言うと、生年月日の情報がその人の人生のひな型だからです。人生はその相似象になります。
例えば、2018年5月1日に生まれたとします。
2018年5月1日には、その日の宇宙の流れがあり、惑星の配列があり、その日のエネルギー状態があります。
オギャーと生まれた時、その日の天地の情報が意識の中に入るため、人生の原型となるのです。つまり、はじまりの「一日」が「一生」の縮図になるということなのです。
誕生日に限らず、入学、就職、結婚など、何事も始まりが重要と言われるのは、それと同じ法則が働くためです。はじまりの日がひな型となるため、儀式を行うことでより良い相似象をつくるのです。
同様に、名前も人生のひな型になります。
たとえば、「羽賀ヒカル」という名前だとすると、人生も「羽賀ヒカル」の相似象になります。
名前の音のひびきや漢字の意味が心の意識にうつって性格や考え方を形成し、その後の人生に影響を与えていくのです。
人生が“運命以下”になる、とは?
このように考えると、誰もが自分の名前や生年月日どおりの人生になるんだな、と思いがちです。
相似象どおりの人生であれば、その人の個性や本領が存分に発揮されている人生、ということになりますから。
ところが実際、ほとんどの人が生年月日以下、決められた運命以下の人生を歩んでしまっています。
どういうことかと申しますと、生年月日を見れば、だいたいこういう性格で、こういう人生の道筋を通って、〇歳で結婚するとか、〇歳で開運すると言ったことは分かります。
ですが、その性格の良い側面、つまり才能が発揮されていなかったり、せっかく良い運気の流れが来ても、そのチャンスを掴めていない人が大半なのです。
つまり、本来、歩むはずの自分らしい人生ストーリーを生きていない、幸せのゴールを見失ってしまっている、ということです。
それは、なぜでしょうか?
理由は、外から“悪い相似象”の影響を受けてしまっているからです。
自分が本来持っていた原型をゆがめるような悪い影響を受けて、人生の判断がおかしくなってしまうのです。
人は、いくつもの要素から影響を受けています。その中には、不幸の連鎖を生むような相似象もたくさんあるのです。
親や先祖からの影響を超える
具体的に言うと、一つ注意すべきは「親や先祖」からの影響です。
人生の判断について、父親や母親から否定されたり、指図されたりすることがあります。
そういった自分の意志を抑え込んでくる対象ってありますよね?
もし、子どもが親の影響をずっと抜けきれず、まるで親の模倣(コピー)のような人生を歩んでしまったら、そこに悪い相似象が生まれます。
不幸な親が、不幸な子どもを育て、またその子どもが、不幸な子どもを育て……という連鎖が生じてしまうのです。
私たちはそのようにして、「先祖からの悪い相似象」を、無自覚のうちに引き継いでしまっていることが多いのです。
悪い相似象の人生を、知らず知らずのうちに受け継いでしまうと、自分本来の個性を発揮できない人生の方向へ進んでしまいます。
もちろん中には、「私の両親は本当に幸せな人でした、全く同じような人生を歩みたいです」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、おそらくごく一部でしょう。
それに、どれほど素晴らしい父、母であっても、人間ですから、完璧はありません。かならずどこかに偏りや欠点があるものです。
そういう欠点の壁を、子どもは乗り越えていかないといけません。
親がどんな人生を歩んでいようと、どれほどの幸福をつかんでいたとしても、親の壁を乗り越えないと、自分の人生は開けていけないのです。
なぜなら、それがより良い相似象をつくっていくと言うことだからです。
社会の構造が、個人の考え方にも影響する
さらに現代は、「社会の構造」から悪い影響を受けることもあります。
今は普通に生きているだけでも、社会から悪い影響を受けてしまう時代です。
例えば、戦後の日本は「自虐史観」の教育がなされてきました。
「あの戦争で日本は悪いことをした」、「中国や韓国に謝罪すべきだ」、「この反省を忘れてはいけない」という戦後教育です。
国全体として、自虐史観が当たり前のように流布されるようになると、それが相似象となって個人の心にも影響し、「自虐的な考え方」が形成されてしまいます。
誰でも自分自身が所属するコミュニティ(例えば国)に対して誇りを持てなければ、自分自身に対しても誇りが持てず、本来の才能にフタがされてしまうのです。
さらに、自虐史観の背景には、「勝者が善で、敗者は悪である(敗者に口なし)」という社会構造があります。
つまり、「力が支配する世の中」です。
この構造が相似象となって、あらゆる局面で、力による支配が生まれます。
会社でも、学校でも、友人関係でも、親族や家族との関係でも。
これは、良い相似象とは呼ぶことができないものでしょう。
人類の長い歴史を振り返っても、勝者が必ずしも「善」だったとは言えません。
ただ、勝者にとって都合の良い歴史が残されてきた(作られてきた)に過ぎないのです。
大東亜戦争においても、日本にも、諸外国にも、それぞれの正義があり、主張があったのです。
どちらが正しかったのか、という議論は、ここでは本題ではありませんので避けますが、あの時、もし日本が戦わなければ、どんな世の中が訪れていたか?
きっと今ごろ白人中心の世界となっていたでしょう。
そして、アジア諸国はヨーロッパやアメリカの植民地として支配され、差別され続けていたかもしれません。
このように、人の運命はさまざまな要因から影響を受けて、形作られていきます。
悪い相似象からの影響を受けていると、知らないうちに悪い流れに巻き込まれて、自分を見失ってしまうのです。
そうすると自分らしさから離れた〝運命以下〟の人生に陥ってしまいます。
悪い相似象を断ち切って、自ら良い相似象をつくっていくことが、人生の根本改善になるのです。
神社参拝にはどんな目的があるのか
では、悪い相似象を断ち切り、良い相似象を引き込むためには、どうすればいいのか?
良い相似象を持つ「場」から影響を受けるのがカンタンで早い方法です。
そのための場所が、「神社」なのです。
良い相似象の中でも、最高の相似象を引き込むなら神社以上の場所はありません。
なぜなら、神社とはその地域の〝良い相似象の原型〟をつくる中心だからです。
神社の神主さんは、毎日毎日、祝詞を奏上して神様に祈りを捧げています。
それは決して個人的な願望ではなく、「世の中に良い相似象が広まりますように」という公の願い、つまり、みんなの幸せを祈っているのです。
それが、何百年、何千年も続いてきた歴史があります。日本人が世界に誇るべき、和の精神です。
また多くの神社には森があり、自然の清々しい空気に包まれています。
いるだけで心が洗われ、身体はゆるみ、呼吸が深くなります。
そういう場所だからこそ、本来の自分に戻り、嘘偽りのない本当の願いを発することができるのです。
女性の身体と神社のフラクタル
神社は、参拝者にとって「誕生」の場所です。
神社の神様は女性原理を表しており、神社の境内は女性の身体にたとえられます。
鳥居は女性器を表し、お宮までの「参道」は、子宮へと続く「産道」と音が符合しています。
また社を覆う森は陰毛です。
そこへ、参拝者は御手水で身心を清めてからお参りするのです。
神道の考え方においては、人間は男女問わず男性原理を表します。
神社参拝は、男女のまぐわいと同じように、人間と神様が交わる場所だということなのです。
男と女が一つになったときに愛が生まれるのと同じように、神社参拝は「誕生」を意味しているのです。
さらに参道の奥の社殿には、「鏡」が御神体として祀られている神社が多くあります。
「カガミ」から「ガ(我)」を抜いたら「カミ(神)」になりますが、これはまさに、純粋な無私の心でお参りすると、そこで鏡に映った〝新しい自分〟に出会うことができますよ、ということ。
自分自身が神様となって生まれ変わる場所、と言ってもいいでしょう。
つまり、参拝した日は、新しく良い相似象の原型が生まれる日、参拝者にとって〝新しい自分に生まれ変わる、奇跡の一日〟なのです。
そのとき熱い気持ちで祈ったことは、良い相似象となってその後の人生に広がります。
そして、あなたの魂が望む、本当の幸せへと導かれていくのです。