©『神様に愛される一杯のお茶習慣』(自由国民社)撮影:竹田俊吾
茶肆ゆにわ店長・こがみのりから、感受性を高めるお白湯の飲み方をご紹介します。
きっと今日から、お白湯習慣を始めたくなりますよ。
「ゴキゲンな白湯」と「フキゲンな白湯」
お気に入りの茶器を使って、お白湯を飲んでみましょう。
これまでお白湯を飲むことはあっても、特に意識することなく普通のコップで飲んでいた方が多いと思います。
茶器を通してお白湯を飲むと味は絶体に変わります。
それを体験してみましょう。
©『神様に愛される一杯のお茶習慣』(自由国民社)撮影:竹田俊吾
茶器を大切に使い続けていれば、お茶の香りや気がその茶器に残ります。
それを通して出てきたお白湯は、何かしら味が変化します。
ですから、茶器を使っていると、お白湯の味も変わっていきます。
それから、茶器を大事に扱っていると、茶器に住んでいる微生物が「ゴキゲンさん」になります。
そうすると「ゴキゲンなお白湯」になります。
でも、茶器を雑に扱っていると、茶器に住んでいる微生物が「フキゲンさん」になるので、そうすると「フキゲンさん」なお白湯になります。
こうした違いが、お白湯だとその茶器の状態がそのまま出るので、わかりやすいのです。
お白湯は新たな循環を生み出す働きがある
©『神様に愛される一杯のお茶習慣』(自由国民社)撮影:竹田俊吾
「物質的なもの」と「形のないもの」とは連動しているので、気が滞っている時は、思考も滞っています。
ですから、一つの考えに執着していると、心も体も止まってしまって動けなくなります。
たとえ、どんなに辛くても、どんなに大事な思い出があったとしても、過去にエネルギーをかけてはいけません。
新しく「気」を循環させていくことが重要です。
でも、何かしらに執着している人は「気」が停滞しています。
たとえば、元カレや元カノに執着していると、その状態から動けなくなって、次が見えなくなります。
目の前に新しい出会いやチャンスが来ていても、過去のことばかりに意識を向けて執着している時は、「今」を見ていないので、チャンスをどんどん逃してしまいます。
それは、過去にしか目が向いていないからです。
だから先に進めないし、過去ばかりがどんどん色濃くなってしまい、動けなくなってしまいます。
その結果として、自分がどんどん辛くなってしまいます。
ですから、こんな時こそ、どんなに辛くても、その辛さをエネルギーに換えましょう。
そして、そのエネルギーを使って、流れを変えるんです。
「次」に目を向けて「今できること」をやっていけば、どんどん進んでいけるのです。
©『神様に愛される一杯のお茶習慣』(自由国民社)撮影:竹田俊吾
お白湯はインドのアーユルヴェーダでも、万能の良薬とされてます。
お白湯を飲むことは、体内に溜まった毒素を排出して、気の滞りをなくして、循環を促します。
思考の滞り、ネガティブなエネルギー、人から受けた悪想念も流してくれますから、そう意識しながらお白湯を飲むといいですよ。
豊かな感受性を育てよう
先日、茶肆ゆにわに、4日間断食していたという方がいらっしゃいました。
断食をしていたということは、余計なものを食べていない、添加物や味の濃いものをずっと食べていないということです。
おかげで、舌の感覚が鋭敏になっていました。
その方は、水分を摂る時に、お茶ではなく、お白湯をずっと飲んでいたのですが、沸かし方を変えたお白湯の味の違いがわかるほど、感覚が研ぎ澄まされてきたそうです。
断食までしなくても、お白湯を毎日飲んでみると、だんだん敏感になっていきます。
聴覚だったり、ものの見え方だったり、自分の一番得意なところが変わっていきます。
熱く沸かしたお湯を冷めるまで待つという「時間」に、浄化と循環のカギがあります。
その時間に、バタバタと仕事や作業をするのではなく、冷めていくその時間に、自分の心をスーッと鎮めていく…というイメージで待っていたら、それは心を鎮める「浄化」のお白湯になります。
そしてお白湯を飲んで、体内に溜まった毒素を流した時に、「循環」がはじめります。そうイメージしてお白湯を飲んだらいいと思います。
それをやっていくうちに、敏感になり、自分の茶器を通して淹れたお白湯の味の変化を感じられるようになっていきます。
茶器に、お茶の香りや気が残っていて、情報をウツシやすい水(お白湯)が、その茶器がもっている気を映して出てくるのです。
ぜひ、お白湯の世界を楽しんで、豊かな感受性を育てていってください。
神社参拝のように味わってみる
©『神様に愛される一杯のお茶習慣』(自由国民社)撮影:竹田俊吾
お白湯でもお茶でも、味わう時はきれいに整えられた空間でいただくことが大切です。
机の上にごちゃごちゃと置かれているモノは片付け、茶器だけの空間にしてみましょう。
名前をつけた自分だけの茶器から注がれるお白湯を、静かな空間でしみじみといただく。たったそれだけで、まるで神社参拝をした時のように、なんとも清々しい気持ちになれますよ。