©『神様に愛される一杯のお茶習慣』(自由国民社)撮影:竹田俊吾
茶肆ゆにわ店長・こがみのり から、もの選びのポイントをお伝えします。
世間の評価に流されない
茶肆ゆにわでは、こだわり抜いた茶器だけを使用しています。
ただし、単に高価なもの、世間の評価が高いものを選んでいるわけではありません。
私が選ぶ基準は〝気が良いもの〟です。
〝気〟とは、簡単に言えば「どんな気持ちが込められているか」と捉えていただければよいでしょう。
例えば茶器には、それぞれの作家さんの思いがこもっています。
特に焼き物というのは、丹念に整形して、焼いて水分を飛ばし硬化させるという過程を通して、作り手が発する気も同じように凝固されて、半永久的に陶器に宿るのです。
ですから、利休の茶器に触れた時、何百年もの時を経て、私たちは当時の利休の思いに触れることができるということなのです。
あらゆる芸術作品とは、歴史を超えて残したい思いを乗せて、今も昔も生み出されてきたのでしょう。
どうすれば〝気〟を感じられるか?
いくら有名作家の作品であっても、世間の評価のため、表彰されるため、儲けるため、そういった私心に動かされて作られたものは、気が濁っているので、あまり好きになれません。
もっとも、その気はお茶の味も濁らせてしまいます。
茶肆ゆにわでは、主に若手陶芸作家・伊藤雅風さんの茶器を使っています。
なぜって、とても気が良いからです。
それは、初めて雅風さんの茶器に触れたときにわかりました。
「気を感じるなんて、よくわからない」という方でも、簡単に〝気〟を感じる一つの方法は、肌感覚を大切にすることです。
どなたでも、肌には〝気〟を感じるセンサーがあるんです。
だから、茶器に限らず、ものを選ぶときは肌感覚を大切にしてみてください。
きっと、選ぶものが変わります。
- 触れた時に温かく感じられるもの。
- 手になじむもの。
- 呼吸が深くなるもの。
- 背筋がしゃんとするもの。
そんな自分の感覚に素直になって選んでいくのです。
お茶を美味しくする魔法
同じ茶葉でも、使う茶器によって味がガラッと変わるんです。
当店で飲み比べをされた方も、みなさんその劇変ぶりにたいおう驚かれます。
雅風さんの茶器は、お茶のいちばんいいところを引き出してくれる。
まるで魔法がかかったみたいに。
でも、その製法を知れば、なるほど、味が変わるのもうなずけまずよ。
最近の茶器は、べんがらなど安価で大量生産できる合成素材の品がほとんど。
質の悪い品は、重金属などの有害物質が混ざった汚染土が使われていることすらあるんです。
そんな時代の中、雅風さんは〝土づくり〟から全て、丁寧に自分の手でやっている。
もうその果てしない工程を聞くと、茶器への深い愛を感じずにはいられません。
その工程を少しご紹介しましょう。
(愛知県常滑市の茶器作家・伊藤雅風さん。「急須づくりは、土づくりから」を理念に、陶芸に人生を注ぐ。)
(粘土にガラス成分とベンガラを混合した原料が主流の今、昔ながらの製法に従い土は山から掘り出す。)
(手作業で丹念に砕いた土を大きなカメに入れ、綺麗な水を注ぎ溶かす。この時点ではまだ泥水だ。)
(何種類もの目の粗さのザルで幾度も幾度も泥水を濾す。それを毎日。長い時は数年間行うという。)
(素焼きのカメからは水が染み出し、また蒸発して、徐々に泥水から粘土状になる。2ヶ月の変化がこの写真。)
(最後は布で水分を絞る。ここでも焦らず、あくまで自然にまかせる。一般的な粘土とは別格のきめ細かさ。)
(完成した粘土。ここまで3〜5年かけることも。これでようやくロクロを回せる堅さになった。)
©『神様に愛される一杯のお茶習慣』(自由国民社)撮影:竹田俊吾
(完成した急須は別格の輝き。お茶の味もまた格別。作り手の愛情は物にこもり、末永く人を幸せにする。)
土づくりは、誰にでもできる単純作業がほとんど。
けれど、常人ならざる情熱がなければ、決してできない。
そういう人の作った茶器を、私は大事にしたいんです。
ものを育て、味方になってもらう
美味しいお茶を淹れるために欠かせないのは、自分の体と心を整えること、技を熟練することはもちろん。
空間を整え、良い茶葉を使い、水にこだわる。
それでも補えない部分を、急須の土の力を借りて、当店のお茶はできあがります。
茶器も生き物です。
茶の世界では、「養壺(ヤンフー)」といって茶器を育てることを楽しむ人もいるくらいですから。
作り手の気がこもった茶器を、さらに使い手が大切に扱い、気を高めていく。
すると、まるで「心」が宿ったように、茶器が光沢を帯びてくるんです。
独特の色味を帯びるものも。
見る人が見ると、その茶器が大切に扱われているかどうかは、ひと目で分かるのです。
名前をつける
当店にある茶器にはすべて名前があります。
不思議に思われるかもしれませんが、名前をつけると、茶器が育って、それぞれの個性が表れるんです。
これは茶器に限らず。すべての道具にも、人にも言えることなんです。
例えば、名前を知らないお客様が来られたとき。そこには、店主とお客様、もしくは、茶席での亭主と客人という関係性が成り立っています。
けれど、これが常連様になると、私は「○○さん、こんにちは」と、ご挨拶をします。
自分の気を、相手に届けるイメージです。
すると、名前を呼ばれたお客様も、私に気を向けてくださいますよね。
その時、私とその方とのつながりが、一段深まるのです。
「店主とお客様」という立場上の関係性を一歩越えた「人と人」の関係性になります。
関係性が変わると、相手の新しい一面が見えるようになります。
私は、人の良心も、才能も、個性も、関係性の中で育まれるものだと思っています。
だから、いつも新しい関係づくりを大切にします。
けれど、いくら私がその方に興味があっても、名前を知らず、お呼びすることができなければ、同じようなコミュニケーションはできないでしょう。
すると、関係性も深まりにくいのです。
名前を知り、呼ぶことは、その人の立場ではなく、パーソナルな部分で「つながりたい」という意思の表れ。
- 「振り向いて欲しい」
- 「交流したい」
その気持ちを乗せて、名前を呼ぶ。
すると互いの意識がつながるのです。
そしてこれは万事に通じます。
茶器や道具との関係も、名前をつけて呼んであげることから深まるのです。
身の回りの道具を育てることで、そこから元気がもらえ、運気も高まります。
ぜひ今一度、普段使っているものに意識を向けてみてください。
「道具を磨けば、自分も磨かれる。」私はそう思っています。
どんな分野でも、一流の人というのは、その道具までもが異彩を放つもの。
だから、身の回りの道具を尊重して、その働きに感謝して、大切にすることは、一流の人生への入口になるのです。