お茶の味が濁る時
いそがしい毎日で心まで騒がしくなっている時、たった一杯のお茶で、あたたかい気持ちに戻ることがあります。
お茶は心の映し鏡。
自分の心が、そのまま映し出されるのです。
あるスタッフの息子さんが、5歳の時の話です。
ある日のお茶の時間に、周りの大人たちから
「ねえ、○○くん、紅茶を淹れてみたら?」
と言われた彼は、純粋に
「みんなに喜んでもらおう!」
と思い、やってみました。
すると、大人たち全員が思わず笑顔になってしまうくらいの、本当に美味しい紅茶が淹れられました。
次の日も、また次の日も、美味しい紅茶がはいりました。
彼と、彼が淹れる紅茶はスタッフの間で、評判になりました。
しかし、しばらく経ったある日、大人たちが
「あれ?」
と首をかしげてしまうくらい、美味しくない紅茶がはいってしまいました。
次の日も、また次の日も。
喜んでもらえなくなったので、彼はとうとう紅茶を淹れるのをやめてしまいました。
どうして、紅茶の味が落ちてしまったのでしょう?不思議ですね。
それは、彼の心が変わってしまったからです。
初めは純粋な
「みんなに喜んでほしい」
という思いだったのに、褒められているうちに
「もっと褒めてほしい」
という気持ちが出てしまい、紅茶の味が濁ってしまいました。
心の変化が、味まで大きく変えてしまったのです。
これは残念な例のひとつですが、この逆もあり得るのです。
そう、
「あなたに喜んでもらいたい」
と、純粋に相手の幸せを願うことができれば、美味しいお茶が淹れられる、ということです。
美味しいお茶を淹れるためには、もちろん、淹れ方を学び、良い茶器や茶葉、お水を準備する必要があります。しかし、それ以前に「心」の準備が大切なのです。
茶は服の良きように点て
茶人、千利休は美味しいお茶を淹れる心得として、「茶は服の良きように点て」という言葉を遺(のこ)しました。
これは、「お茶を飲む人にとって『ちょうどいい』お茶を淹れて差し上げなさい」という意味です。
お茶の好みは人によって千差万別です。
「人の数だけ、お茶がある」と言っても過言ではないでしょう。
また、同じ人であっても、飲むタイミング、その時の気分、体調などによって「服の良き」は変化し続けています。
食後には、ほっとお腹を休ませてくれるような、優しいお茶が嬉しいものです。
甘いお菓子をいただく時には、さっぱりするお茶が調和します。
友人とゆっくり会話を楽しみながら、香り高いお茶を、小さな茶杯で優雅に頂きたい日もあるでしょう。
外から帰った時に喉がカラカラなら、大きな湯呑みでごくごく飲める、ぬるめのお茶が、心と体を潤してくれるでしょう。
相手の立場になりきって、表情をよく見て、声を聴いて、気持ちを察してみましょう。
丁寧に、静かに、我(が)をなくして、相手を思いやるうちに、きっと、「服の良き」のヒントは見つかり、答えが見えてきます。
相手の心と、自分の心とが、あたたかく結ばれる幸せ。
これが、世界に誇れる、日本人の「おもてなしの心」なのです。
おもてなしの原点
ご縁をいただいた方々を「おもてなし」するのは、何も、お茶を淹れる時だけではありません。
- 普段から目の前にいる人を大切にする。
- 喜んでいただけるよう、気を配る。
- 自分にできることを感じて動く。
そのような心がけでいると、お茶の練習をせずとも、自然と服の良きお茶が淹れられるようになるものです。
「普段」は「ふだん(不断)」ということですから、途切れることなく、人の目があるときも、ないときも表裏なく、「おもてなしの心」に通じていることが大事なのです。
人がつい、おもてなしの心を失ってしまうときは、いかにご縁が貴重なものかを忘れてしまっているときでしょう。
「一期一会」というのも茶席から生まれた言葉ですが、誰かと過ごす何気ない日常の1ページも、一生に一度限り。
それと同じ機会は二度と繰り返されることがないのです。
そのことを頭ではなく、肌身で感じていれば、目の前の人と交わす言葉も、挨拶をする声色も、笑顔の明るさも、より服の良きものになるはずです。
日常の中にある奇跡
例えば、地球の人口は約70億人だとして。そのうち、一生に知り合える人の数はどれくらいか、考えたことはあるでしょうか?
さらに、あなたが会ってコミュニケーションをとれる人の数は?
その中で心を深く通わせることができる人の数は?
いかがでしょうか。答えに個人差はありますが、これだけ多くの人がいる世界で、本当に深い関係を結ぶことができるのは、一生かけてもせいぜい数人~数十人くらいでしょう。
つまり、70億人分の数人です。
仮に日本人全員(1億2千万人)があなたの目の前にいたとしても、やっと1人と結ばれる。それほど低い確率なのです。
つまり、「人とのご縁」は貴重、いいえ、奇跡なのです。
そのご縁のありがたみを「感じ尽くそう」とすると、相手のことを、ゆったりとあたたかくお迎えできるようになります。
いつも顔を合わせている人でも、まるで初めて会った相手かのように、先入観なしで感じられます。
これが「ふだん」の習慣になれば、特に淹れ方や茶葉や茶器を変えなくても、自然と明るく、軽く、あたたかい空気感に包まれ、「茶は服の良きように点て」ができるようになります。
「おもてなしの心」は、特別なときだけ意識するものではありません。
普段から育てていくものなのです。
そして、この実践にはゴールも正解もありません
一生続けていけるこの実践を、ぜひ、楽しんで探究し続けてください。